あおの世界は紫で満ちている

自分の趣味にどっぷり沈み込んだ大学生のブログです。歌舞伎と宝塚も好き。主に観劇レポートなど。

『あくてえ』読書感想文

『あくてえ』(河出書房新社作:山下紘加

はじめに

私は、作られた世界が好きだ。

ということは、このブログを何度か読んでくださっている方にはほんのりと伝わっているかもしれない。「作られた世界」と言うのはつまり、創作物のことである。私は、創作物が好きだ。それは、時に演劇であり、時に音楽であり、そして小説である。

読書というのは、贅沢な楽しみだと私は思う。本を読むためには文字が読めなければならず、文章を文脈と結び付けて読み進めていくためには一定の訓練が必要であり、さらにその中から筆者の意図などをくみ取るには感性が必要だ。だから、普段何気なく行っている「読書」と言うのは、意外と難しいことなのかもしれない。

この『あくてえ』の主人公・ゆめもまた、本が好きな女性だ。小説家になりたいという夢も持っている。しかし、現実がその夢を阻んでいく。

ごくごく身近なことを描いたこの作品は、読んでいるこちらの心も揺さぶるものであった。

今回は、そんな『あくてえ』の読書感想文をつらつらと書いていく。

『あくてえ』を読んで

 大人向けの児童書だと思った。簡単な言葉で綴られていく文章はスラスラと読むことができ、一人称で進んでいく物語は、語られる視点が一つであるため混乱もしない。読んでいるうちに、児童書を読みふけっていた幼いころの記憶が呼び起された。しかし内容は、そんなやさしいものではない。

 主人公の松島ゆめは、「きいちゃん」と呼んでいる母親の沙織と、心の中で「ばばあ」と呼んでいる父方の祖母と一緒に暮らしている。高卒で派遣社員をしている、19歳の小説家志望の女の子だ。家は、90歳になる「ばばあ」の介護を中心とした生活となっており、働いても働いてもお金の心配ばかりせざるを得ないギリギリの生活を送っている。めまぐるしく起こる諸問題に対し、戸惑い、苦しみ、藻掻きながら「日常」を送っていくしかない「あたし」の物語が、広がっていた。

 ゆめに共感できない人間は、きっと幸せだ。だが、全く共感できない人間など存在しないとも思う。少なくとも私は、胸が痛くなるくらい共感した。

 私には、78歳になる祖母がいる。「ばばあ」とは違い、優しくて自分のことより他人を優先してしまうような女性だ。それでも、時に過干渉な側面や、人の話を聞かないところなどにイライラしてしまってつらく当たってしまう時もある。本当は、いつだって優しく接したいのに、口から出る言葉は心と正反対のことばかりだ。一緒にいられる時間が、もう限られてきているというのに、きっとおばあちゃんはいつまでも元気でいてくれると信じてやまない。言い過ぎた、と思ったときにはもう遅く、後悔ばかりが押し寄せるが後に返ることもできない。ゆめと「ばばあ」の関係も、似た部分がある。ゆめはいつだって「ばばあ」に優しくしたい。「ばばあ」のことを心から嫌っているわけじゃない。そうでなければ、吐瀉物や糞尿の始末など、どうしてできようか?いや、できるはずがない。

 私のように、祖母を大切に思っている人もそうだし、夢を追い続けているひと、両親との関係に悩んでいる人、恋人との関係に悩んでいる人など、どんな人にでも、なにかしら共感できる部分のある作品であると思う。ゆめは、いつだってすべてに「あくてえ」をついているのだから。

 ゆめは、自分ではどうしようもできない問題に対してとことん無力であり、そんなやり場のない気持ちを言葉にできずにモヤモヤしている。小説家志望にも拘わらず、そんな気持ちを表現できない自分にもいら立っている。そして、自分を守るために他者を攻撃するのだ。「ばばあ」に悪態をつき、彼氏に当たり散らし、父親を見限る。そんな、強い人間だ。

 いくら自己表現ができないと悩み、涙を流していても、ゆめは強い人間だ。どんな現実もしっかりと受け止め、道をそれることなく毎日を生きている。「しにたい」と口にしても、現実をしっかり生きていくだけの覚悟がある。人に甘えることもできる。私は、ゆめのような人に憧れる。

 『あくてえ』は、「松島ゆめ」の人生の一部分を写真に収めているかのような作品だ。だから、結末も一見、尻切れトンボのように思える。何も解決されていない。ただ、ループのように日常が続いていくだけの物語だ。応募した小説が二次選考に進んだり、父親との縁が切れたりと、最後に向けて前進する展開もあるが、基本的には何も変わらない。「あたしが書く小説は必ず終わりを迎えるし、良くも悪くも決着がつくのに、現実はそうではない。ずっと続いていくのだ。」という本分の通り、明確な終わりを示さずに物語が途切れる。読者は一瞬、置いていかれた感覚に陥るが、これは人生の一部を描いていたのか、と腑に落ちる。

 人を選ぶ作品でもあると思う。生々しい描写も多く、決して綺麗とは言えない作品であるからだ。現実から目を背けたくて、物語の世界に逃げ込みたいという人には向かないだろう。しかし、押し寄せたまま引くことを知らない波のように、ドッと駆け抜けていく人生の一部を垣間見ることはできる。そこに出口はなくとも、言い表せない感情を文字にすることはできるのだと教えてくれる。そんな作品であると感じた。稚拙な作品だと一蹴するのは容易いかもしれない。しかし、この作品から何を感じ取り、どのように自分に投影するのかによって、自分を見つめ直す機会を得るのではないだろうか?

 人生をスパッと切り取ったとき、きっとその鮮やかな断面は、このようであるのだろうと、そう感じられる作品であった。もう一度読み返したいか?と問われたら即答はできないが、一読の価値はあると思う。気になった方は、是非お手に取って読んでみることをお勧めしたい。