あおの世界は紫で満ちている

自分の趣味にどっぷり沈み込んだ大学生のブログです。歌舞伎と宝塚も好き。主に観劇レポートなど。

混沌ハムレットの感想

 

はじめに

 私は普段、小劇場に行くことや地方劇団を見ることはあまりない。「普段」というのは相対的な話で、月イチペースで観劇遠征をする私にとって、3ヶ月に1度あるかないかの小さな観劇は、割合が少ないという意味である。先輩方の公演に行くのも、贔屓の公演を見るのも、推しの舞台を見に行くのも等しく楽しい。私は、作られた世界を見るのが好きだから。だから演劇部に所属をしているわけだし、物書きのまねごとをするなどもしている。

 さて、今回のブログは、はまかるエンゲキヴ第5期成果発表公演『混沌ハムレット』の感想である。このブログが多くの知人の目に入ると思うと、顔から火が出るようだが、これは大切な友人達の頑張りに向けた贈り物として書こうと思い立ったものなので、私の羞恥心など道端の小石のように無視されてしかるべきだ。

 このブログでは、基本的に手前勝手な感想をつらつらと述べていく。だから詳しい説明は省くし、間違っていることもあるだろう。このような稚拙な文章では書き表せないことも多いだろうが、暖かい目で見ていただけると幸いである。

基本情報

『混沌ハムレット

原作:ウィリアム・シェイクスピア

演出・構成:脇田友(スピカ)

演出助手:酒井優美
舞台監督:筑田明心
照明:山本五六
音響:中村有里
衣装:井口真帆
宣伝美術:ひゆ–
制作:井口真帆/筑田明心/安藤こず恵/日向花愛/北澤あさこ
出演者写真撮影:脇田友
稽古場記録撮影:西川史朗
技術協力:磯﨑真一

出演:住友快吏 河地恵佳 橋本空 宮本有利 本庄紫朱希 いろは 伊藤匠海 
   大谷佑真 青木雅浩 岸田志緒理 甲佐菜穗子 新谷晃生 辰巳佳穂
   中沢玲美子 東航平 古川智葉 宮部素直(順不同)
※以上敬称略
はまかるエンゲキヴ第5期成果発表公演
時・2024年1月13日、14日
於・長浜文化芸術会館

hamacul.or.jp

感想

 『混沌ハムレット』(以下ハムレット)は、17人の役者がAチーム、Bチームに分かれて役替わりで公演を行うものである。よって、ここでもA・B両方の感想を綴っていきたい。が、まずは全体の感想から述べていこうと思う。

全体を通して

 私は、悲劇が好きだ。もちろん喜劇も好きだが、悲劇の方が好きだ。やりきれない感情に涙し、それでもまた見たいと思ってしまう不思議な魅力に取りつかれている。だから、シェイクスピアは大好物だ。ちなみに、日本のシェイクスピアと言われるのは近松門左衛門だが、私はそこにいささかの疑問をいだいている。確かに近松は偉大だが、悲劇の傾向的には河竹黙阿弥の方が近いのではないかと思うからだ。だけど、これは、多分、うん…私があんまり近松を好きじゃないからだな……。

 話がそれた、元に戻そう。

 シェイクスピアは、今から400年以上も前の人間で、つまりは作品も400年前のものだ。それが今に続くまで上映され続けているわけだから、その数だけ演出の違いがある。ロックオペラもあったし、確か宝塚でも何度か上演されているが、演出はそれぞれ違っていると記憶している。どこに重点を置くか、どれを強調するか、どう表現するか。それは演出の数だけあるのだと思う。

 今回の『ハムレット』は、いわば短縮版だ。公演時間は90分だが、私の知る限りシェイクスピアの上演は2時間を優に要する。30分以上、何を縮めるのかと思ったらなるほど、ハムレットがイギリスに流される道中でノルウェー艦隊と遭遇するくだりがなかったし、友人であり裏切りでありハムレットに殺されるローゼンクランツとギルデンスターン、それに鍵を握るノルウェー王子フォーティンブラスが登場しなかった。友人()であるローゼンクランツとギルデンスターンの役割は、バナードとマーセラスに引き継がれていたが、フォーティンブラスに関しては影も形もなかった。これは、少しだけ寂しく思う。私の思う「シェイクスピア悲劇のテンプレート」は、敵対する二人の人物、ないし二つの集団があり、それらが血で血を洗う殺戮の末に共倒れし、最後に第三勢力が漁夫の利を体現する。と言うものである。だから、最初の場面で「ノルウェー王が不穏な動きをしている」と言う趣旨のセリフを伏線として、誰かが現れやしないか、と思ったが期待は淡く散った。しかし、「ハムレット王子の遺体を上へ」のセリフを放ったホレイショ―が、ノルウェー王子の代わりなのだろう。これは『混沌ハムレット』だ。為政者の誰もいなくなった『混沌』のまま終わるので、正解なのだと解釈する。

 と、このようにハムレットは、要点を抑えわかりやすい構成になっていた。言葉も優しい。シェイクスピア特有の難解で複雑怪奇な言い回しも、何を指しているのか大変にわかりにくい代名詞も二人称も、柔らかく理解しやすいものになっていた。しかし、原作の不気味さは損なわれていない。重厚な舞台装置があるわけでもなし、技巧を凝らした大道具が鎮座するでもなし、絢爛な衣装があるわけでもない。それでも、奥行きのある舞台になっているのは本当に素晴らしいと思う。札束で殴ってくるような歌舞伎や宝塚や東宝も好きだが、工夫をこらして必要最低限で作り上げられた世界も好きだ。

 最も感動を覚えたのは、オフィーリアの死の場面があったことだ。原作にあってはガードルードのセリフにしかないその死が、ミレーの絵画のような美しさで表現されていた。人と音響で溺れ死ぬさまを表現したのは天才の所業だ。尼寺よりも清らかな場所に行ったオフィーリアの悲しさが、良く表れていたと思う。その直後の「レアティーズ!レアティーズ!」という民衆の叫びと、それを切り裂くような兄の怒りが、物語が急転したのだと示すのもとても良かった。

 そして、『混沌ハムレット』一番の特徴である「アンサンブル」の存在。亡霊が複数に分かれ、ハムレットを取り込まんとせんばかりに圧をかける様子は、不気味以外の何物でもないし、そこにいるのは先王ハムレットではなく、ただの妖怪のような気さえしてくる。亡霊になり、旅芸人になり、城役人になり、民衆になり…と、役者は大変な苦労を重ねたことだろう頭が下がる。これが、普段じゃれあっている友達の偉業だと思うと、下がった頭は大地にめり込む。本当にお疲れ様やで。今度ご飯とカラオケ行こな。

 シェイクスピアの根底には、キリスト教がある。深く、根付いている。カトリックを嫌った大英国教会を強く支持したエリザベス朝期の作品ではあるが、それでもキリスト教キリスト教だ。聖書に依拠している。兄殺しを悔やむクローディアスは、人類最初の殺人を犯したカインと重なる。ハムレットの仕掛けた劇を見て「怒り」そして「顔を地に伏せた」のは、カインの行動と重なる。*1ハムレット』において、クローディアスはカインだ。だから、ハムレットは七倍の復讐を受けた。「だれでもカインを殺すものは七倍の復讐を受けるでしょう」という神の言葉*2の通りに、クローディアスよりも苦しんで死んだ。その葛藤が、苦しみが、とてもよく表現されていた。私は、人よりは多少聖書を知っているとは思うが、熟知しているわけではない。が、やはり知ると知らざるとでは楽しみが変わってくるので、西洋古典に触れるときはぜひキリスト教の存在を意識してほしいと思う。

 短縮版であっても、充実の観劇だった。

Aチーム

 ここからはそれぞれに分けての感想を書いていこうと思う。まずはAチームだ。が、私はAチーム観劇後の感想を辛く書いてしまったことを少しだけ後悔している。強い言葉を使ってしまってごめんよ…と最初に謝っておく。

 さて、Aの様子を一言で表すなら、「激情」であるように思う。感情を爆発させ、とにかく強く、強くぶつけていく。感情に突き動かされるように叫ぶハムレットを筆頭に、100%の感情で表現していた。だからこそ、「役者が演じている」のがよく見えた。これは、Aに知り合いが多かった私の事情もあるかもしれない。しかし、役の奥に役者が見えたのはAの方だ。初日の一回目で少し空気が硬かったものあるかもしれないが、全体の緊張が客席まで伝わってきたようにも思う。だから、Aを一回目だけをみてその真価を評価できるとは思わない。きっと、二日目はもっと良くなっていたのだろう。ただ、私は一度しか見られなかったので、そこが、心残りだ。

 人間は、常に100%の感情に支配されることはない。複雑な感情がないまぜになって存在している。けれど、Aチームはそのほとんどが100%の感情に突き動かされていたので、やや平面的に思えてしまった。しかし他方で、1つの気持ちに集中できたのは良かったと言える。特に、ハムレットには狡猾さがなかった。だからこそ、ハムレットにおいてハムレットが嫌いな私はAのハムレットを受け入れられる。「尼寺へ行け!」とオフィーリアに叫ぶ場面。そこには「女」に失望したハムレットが、愛している女性だけは清廉でいて欲しいという思いから「世捨て人になって教会に籠れ」と突き放しているようにも思えた。

 Aのハムレットは、ハムレットと言うよりはオイディプス王のようだった。このまま自分の眼球をえぐり出してしまうのではないかと思うほど、母を嫌悪し、其の血が流れる自分を嫌悪した。それでも、母にだけは従うというマザコンぶり。救えない。やっぱりお前なんか嫌いだ。

 ホレイショ―は理知的で学者であるというのがひどく腑に落ちる演技であった。ハムレットに寄り添い、支え、確かな忠義心を持って後を追おうとするさまは忠臣のそれである。そんなホレイショーに優しいハムレットの様子も良かった。

 オフィーリアは可憐であったが、特に狂人となった後がすごかった。一点を見つめ続ける狂気に満ちた目。空っぽな心が漏れているような歌。そして、柳に花輪をかけるときの歪んだ笑顔。オフィーリアがそこにいた。

 ガードルードは、「弱い女」の結晶であるように感じた。ただ、そこにいるだけの王妃のようであった。細い声も、揺れる瞳も、意思を持たないようでゆらゆらとたゆたっていたように感じた。それでも、最期の一言、どんなになじられても変わらない「私の可愛いハムレット」の言葉には、母を感じた。それまで王妃であり妻であったガードルードの、唯一母である瞬間であったと思う。

 マーセラスとバナードはニコイチだ。兵士であるが、その役割として原作にあって本作にはいないハムレットの友人の要素も足されているので、登場も多いし印象的だ。何より、バナードの一言で舞台が始まるその責任は重い。だから、バナードは重要だ。墓堀であることにも意味があるように思う。完全に人格を奪われたわけではないアンサンブル。彼らは賎民であるから王子の顔を知らない。だからハムレットに死を示せる。

 レアティーズには、一番心を震わされた。父を、妹を失った悲しみと憎しみを剣に込め、騎士道を捨てて背後からハムレットを襲う。死の寸前で王を糾弾し、死を受け入れる。彼岸に会いたい人がいる者の、あきらめのようにも感じた。

 ポローニアスは秀逸だった。腰巾着の様子も、娘に忠告する様子もすべてが地位のため家のため。見事な日和見で、雑に死んでいく様子は哀れだった。物事を上辺でしか見ないから、死ぬことになる。

 クローディアスは、唯一AもBも役が変わらないが、これは一度見たらなるほどと頷けるだろう。クローディアスを演じるにおいては、青木さん以外には考えられない。中間発表の時点で、完成されたクローディアスを見た私はずっとそう思っていたが、今回の役替わりを見てより強く思った。AとBで、若干の変化があったように思う。それぞれの空気に合わせたクローディアスがあった。Aにあっては欲にまみれた暗愚を強く感じたが、Bにあっては様々の感情を内包する悪を感じた。意識してか、せずか、どちらにせよ雰囲気の違うA・Bで同じ役を務めるというのは大役だ。筆舌に尽くし難い。

Bチーム

 先に言う。私はBの方が好きだった。これは、完全に私の好みであるので他意はない。友達のことは大好きだし、後輩は可愛いけど、全体の雰囲気が好きなのはBだ。各々の突出した角が集合して円になっているようなのがAなら、それぞれが点を置くことで円を作っているようなのがBであると思う。だから私はBが好きだ。100%同じ感情では無いことに、強く人間を感じ、役を感じ、舞台に没入できた。

 Bのハムレットは、内からふつふつと湧き上がる感情を、体で押しとどめて喉から絞り出しているようだった。叔父貴を睨む鋭い目、母を責める鋭い言葉。為政者の情と非情をわきまえ、民にも慕われている。まさに「王と為られていたら名君になられたお方」だ。これが、私が嫌いで嫌いで嫌いで仕方がない原作のハムレットだ。

 ホレイショ―のよく通る声は、ハムレットの意思のように迷いがなかった。Aとは違いハムレット対等で、主従の関係はあれど固い絆で結ばれている。ハムレットのしの間際でも、慌てつつも取り乱しすぎず、殉死か語り部か、生きるべきか死ぬべきかを迷い、そしてハムレットの逆を行ったのが綺麗な対比になっていたと思う。

 オフィーリアはさすがの一言に尽きる。声通るなぁ…。Aと同様、やはりオフィーリア役の真価はその狂気をどう表すかにあると思う。この点に関して本当に良かった。あんな妹の姿を目の当たりにしてしまったら、私がレアティーズでも王を切り刻みに行くだろう。

 ガードルードは、Aとは全く別で、強く母を感じた。ハムレットの地位を守るためにクロ―ディアスと結婚したのだと思わせるものがあった。ハムレットの目には、情欲に溺れる売女に見えたとしても、私の目には強い母に見えた。王妃を全うし、国母を全うして、そして死んだ。このガードルードは、きっとクローディアスを憎んだことだろうと思う。

 マーセラスとバナードは、これまたニコイチだ。Aよりもハムレットの友人で会ったが深くはない。忠誠もきっと薄いだろう。墓場での下賤さは、まるで別人だったが、その卑しさがハムレットの身分の高さを際立たせていたように思う。

 私が、このハムレットで一番心奪われたのがこのレアティーズだ。内に秘める激情も、さらけ出した憎悪も、届かない凡庸さも、醜い執念も、全部を感じられた。妹を思う優しいまなざしが、王へ、そしてハムレットへの憎悪に代わったときは鳥肌が立つ思いだった。強い。強くて脆い、騎士道精神にあふれるレアティーズが好きだ。

 ポローニアスは、これまた狡猾な宰相だった。クローディアスにへこへこして、日和見で、保守的。保身に走ってそして死んでいく様子は、ハムレットに詰られるのも頷けるような清廉の真逆にいる人物であったように思う。私は、Bのポローニアスが好みだが、イメージに合うのはAであったようにも思う。甲乙はつけがたい。

まとめ

 全体、A、Bと簡単に感想を述べた。書ききれていないことも多いが、一番に思い浮かんだことを書いた。これ以上長くなっても読むのに骨が折れるだろうし、友人には後で直接言葉でも伝えようと思う。勝手に加筆修正されることもあるかもしれないが悪しからず。一発書きの性だと思って目を瞑って欲しい。

おわりに

 2024年最初の観劇が『混沌ハムレット』で良かったと思う。2023年は、毎月舞台を見て、一つ一つ数えたら20公演近くを観劇したことになったので驚いた。……チケット代のことを考えてはいけない。2024年も同じくらい観劇するのは、きっと難しだろう。悲しいかな就活生。立ちはだかる卒業論文。そう、私は必ず、今年、卒業しなければならない。だから、ひとつひとつを充足させていきたい。その一つ目がハムレットで、良かったと、そう心から思う。

 関係各所の皆様におかれましては、このような素敵な舞台をありがとうございました。トッモ、及び後輩、そして尊敬すべき先輩方へ、とっても大好きです!

*1:創世記4:5

*2:創世記4:15