2022年2月24日二月大歌舞伎 第二部
歌舞伎座。
TheGINZA歌舞伎座。
夢にまで見た本物の歌舞伎座。入場前から胸が高鳴った。
チケットを握りしめ、入場。筋書きを購入し、あらすじを予習する。
舞踊は事前にあらすじを理解しておかなければ物語を追いづらい。狂言も、全て古風な江戸時代の言葉で成っているので、例えば『あいや聞こえた!』と言うセリフは『あぁわかった!』と言う意味に脳内変換する必要がある。歌舞伎が大好きでよく見ている身としては、イヤホンガイドなしでも楽しめる自信はあったが、少し不安もあったのであらすじだけは予習しておくことにした。
さて、予習しながら開演を待っていると、続々と他のお客さんも入場してくる。やはり着物を来た人が多かった。男の人も流しを着てたから、なんだか感動した。
全体的に年齢層は高めだけれど、小さな子供もいて、小さな頃の自分を思い出した。順調に歌舞伎好きに育ってくれ…と密かに念を送る。
いよいよ。二月大歌舞伎第二部が開演された。
まずは舞踊。
せりあがってきた舞台を見て驚いた。静御前を演じる片岡千之助くんが美しすぎる。キリッとした横顔、儚くて中性的かつ艶やかな踊り、仕草。
当代の女形で、私が1番贔屓にしているのは中村七之助丈だ。テレビでお七の藤娘を見てから早幾年、それはずっと変わらない。
しかし、翻りそうなくらい美しすぎた。さすが仁左衛門丈の孫。私の好きな顔の血筋が後世まで受け継がれると思うと感動した。
歌舞伎の良さはそこにもある。芸が受け継がれ血が受け継がれ、何年も何年も追いかけ続けられる。そして奥が深い。
なんと言っても、物心ついてからはほとんどテレビでしか見たことがなかったが、やっぱり生は良い。それはもう、生で見る歌舞伎に変えられるものは無いと思うほど良い。囃子方の音がはっきり聞こえる。衣擦れの音も聞こえる。飛び上がってバンッと舞台を足で鳴らし、見得を切る立役の凛々しさ。長袴を自在に履きこなし、動く度にシュルシュルと着物の音が聞こえる。
歌舞伎座は、本当に小さな音でも会場全体に響くから素晴らしい。江戸時代からの伝統芸能。ピンマイクなんて文明の利器は存在しないし、照明だって必要最低限。ブロードウェイや宝塚の様に照明で舞台を映えさせると言うよりは、ひたすら芸で圧倒される。そんな感じだった。
舞踊は退屈になってしまうかな…と心配していたが杞憂に終わった。片岡千之助くんの美しさ、生の和楽器の迫力。その全てに夢中になれた。あっという間の約20分だった。
20分の休憩を挟んで、いよいよ狂言『義経千本桜』より『渡海屋・大物浦』が始まる。
舞踊の時は緞帳であったが、狂言は見慣れた定式幕。拍子木が会場に鳴り響き、黒子さんがタタタッと幕を開けるの見て感動を覚えた。
この二月大歌舞伎第二部に選ばれたのは『義経千本桜』と言う、源義経が源頼朝の追っ手から逃げつつ平家の残党をことごとく討ち果たし遂には平家を滅亡させるといったあらすじの狂言。その第二段目。
壇ノ浦の戦いを落ち延びた平知盛が、一族の無念を晴らすため、安徳天皇を匿いながら、世を忍ぶ仮の姿として本州と九州を船で繋ぐ渡海屋を営みつつ粛々と復讐の機会を伺い、遂に決戦に打って出るも破れ、圧巻の最期を遂げる「渡海屋」と「大物浦」の2幕だ。
主演の平知盛は、当代の立役者で私が1番贔屓にしている人間国宝15代目片岡仁左衛門丈。さすがの迫力だった。
仁左衛門丈が花道から登場した時、場内の空気が引き締まったのがわかった。立ち居姿、振る舞い、荒々しい所作の 中でも気品があり、武家ながらも貴族であった平氏の在りし日を伺わせるものがあった。セリフのないところでも、目の動きや眉の潜め方、キセルの扱いなどは堂々たる風格。絢爛豪華な衣装にも負けないその迫力からは『天才』と言うよりは、長年培われ磨かれた芸の、仁左衛門丈が何十年も積み重ねてきたものが結集していると言った、言外の何かを感じた。「片岡仁左衛門」の前なら、きっとどんな役者も素人に思えてしまうだろう。そんな事を思わされるほど、圧倒的だった。
一言一言に力があり、一挙手一投足に会場が震える。迫真の演技とは正にあのことだと、本当に心からそう思った。
仁左衛門丈の素晴らしさは言わずもがなであるが、もう1人目が離せなかった役者がいる。小川大晴くんだ。
一昨年初舞台を踏んだばかりで今年7歳。幼いながらもしっかりと安徳天皇を演じていた。子供ながらの高い声、不慣れさもまた可愛らしく、小さな手で杓子を持ち、乳母や武士に軽々と抱えられ、黒子さんの絶妙な小道具の入れ替えなどに対応している姿は本当に愛らしかった。ゆくゆくは萬屋の名跡を受け継いで行くのだろうが、まだ小さいので本名で活動しているのもこれから成長を見守って行けるようで可愛らしく、楽しみだなと感じた。
義太夫も三味線も絶妙で、歌舞伎を見る度に三味線が弾けたらどんなにいいか…と考えてしまう。字幕がなくても聞きやすく、聞きやすいから理解もしやすかった。
三味線に合わせて舞ったり、義太夫に合わせて表情や仕草を変えたりと素晴らしい連携だった。千秋楽の前日と言う日程も良かったのだろう。練度が最高潮に達そうとしているのが伝わってきた。
テレビではカットされてしまう幕間の舞台転換も見られて良かった。
2時間という上演時間も素晴らしい舞台の前なら光の速さだ。例に漏れず、第二部もあっという間に大詰めを迎えた。
追い詰められる平氏。次々と自決していく女房や武士たち。「覚悟を決めるとは、なんの覚悟だの?」と聞く安徳天皇のセリフもまた一段と悲劇に拍車をかける。
戦に敗れ、血まみれになってもなお源氏憎しと立ち振る舞う知盛の姿には鬼気迫るものがあった。ゼーハーと苦しそうな息遣い、ふらつく足元、立っているのもやっとという状態はとても演技には見えず、本当に死んでしまうのではないかとハラハラし、目が潤んだ。
白で揃えた甲冑が血で赤く染まっているのは、奇しくも源平の紅白を想起させ、なんとも言えない感情になった。
そして最期の場面。義経に安徳天皇を託し、大錨を持ち上げ海に投げ込み、共に入水する場面だ。一つ一つの動作が知盛の命を削り、刻一刻と最期の時が迫る。その緊迫感が伝わってくる。
武士の情け、と看取るのは、義経ほか源氏の武将。そして幼い安徳天皇だ。
平氏は幼い安徳天皇を慮り、残酷な場面では帝の目をおおっていたが、源氏にはその配慮はなかった。ここにも違いがでていると脚本の妙を感じた。
知盛が決死の覚悟で大錨を持ち上げた時、会場は拍手に包まれた。それを海に投げ込み「さらば、さらば!」と背中から入水した瞬間、万雷の拍手が鳴り響いた。
「片岡仁左衛門」が、場を支配していた。
15代目片岡仁左衛門丈は御歳77。今年で78歳となる。知盛の衣装は最重くて20kgにもなるといい、体力の限界を感じたと言う仁左衛門丈は二月大歌舞伎を最後に、二度と知盛は演じないと公言した。
一世一代の舞台ということだ。
その分、セリフの一つ一つに所作の一つ一つに、知盛を惜しむような、知盛を大切にするような様子がひしひしと伝わってきた。仁左衛門最後の「渡海屋・大物浦」を観られたことは、私の生涯の誉になるに違いない。惜しまれながらも、全力で良いものを見せられるうちに芸をしまい、後世に受け継がせることを決意したかのような仁左衛門丈の姿はとても美しくカッコよく、上方役者に言うのが適切かは分からないが、いなせだなと感じた。
2022年2月24日。「片岡仁左衛門」の芸に圧倒され、さらに歌舞伎が好きになった。
歌舞伎座には、私の夢が詰まっていた。